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三法師の生みの親は塩川長満が娘、寿々姫!?

天正10年(1582年)6月27日、尾張の清洲城にて世に言う清洲会議が行われました。
本能寺の変で織田信長とその長男織田信忠が明智光秀の謀反で世を去り、織田家家臣で跡目をどうするかを話し合った有名な会議です。
話しは逸れますが6月27日の月の形、わかりますか?
さあみんなで描いてみましょう!

話しは戻って、よく映画に出てくる有名なシーン、
「ここにおわすは、織田家嫡流の三法師様である。皆の者、頭が高い、控えよ!」
とチビで醜い羽柴秀吉が僅か3才の三法師を肩に乗せて登場する場面。
今回は本能寺の変で織田信長と共に亡くなった長男信忠の嫡子、三法師の出自について書きたいと思います。

当時織田家の頭首であった織田信忠の正妻については現在諸説ありますが、実は三法師の生みの親は、なんとなんと、鼻の穴をよーーーーくほじくって聞いてくださいよ。
なんと獅子山城城主塩川長満が娘、寿々姫なんですよ!
そんなアホな〜!
わけないやろ〜!
みたいなことを言ってしまった人は一般的理解をされていると思います。
その根拠を一つ一つ説明するには時間がかかるので今回は省略。結論だけをいうと、三法師は塩川長満が娘、寿々姫と織田信忠の間に生まれた織田家嫡流の男子だったんです。

俺等はこの話しを知った時、仰天するあまり地球を7周半してしまいました。

続きは次回に。

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kayac

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