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本能寺の変と猪名川町

本能寺の変、明智光秀が織田信長を裏切った超有名なクーデター。

「6月2日の早朝に起きた歴史的大事件」・・・・
そうです。「ときは今 あめが下知る 五月かな」のアレです。

6月2日は天下人織田信長が、最も信用していた重臣の明智光秀に京都の本能寺で謀反により殺された歴史的大事件、「本能寺の変」が起こった日です。今では小学生でも聞いたことがある超有名な事件ですね。当時は旧暦の太陰暦なので正確には1ヶ月程先になります。

こんな有名な大事件、自分とは全く関係ないことのように考えがちですが、明智光秀の謀反の出発地点は猪名川町にもほど近い亀岡市市役所の近くにあった亀山城。目的地は京都市上京区の本能寺。明智軍13,000は織田軍の近畿方面軍なので、猪名川町や能勢町、篠山、三田などから従軍している・・・と思います。
今の能勢町や丹波篠山市からも織田軍に協力する形で明智軍に従軍していたと考えられます。そう言われると急に身近な事件だと思いませんか。

6月1日(今日)の夕方に明智軍13,000は亀山城を出発し、6月2日早朝に上京区の本能寺を急襲した訳ですが、どうして6月1日の夕方に出発したのでしょうか。問いが唐突です。ピンとくるひともいると思いますがこの説明を聞いたときは「なるほどなー」と唸ってしまいました。

ヒントは月です。十五夜の月の形を考えれば連想できます。団子を供えて月見をするのが十五夜で、月はと言えば満月ですね。一方1日はと考えると・・・・・、そうです、新月です。つまり1日の夜は月が見えても輝いておらず闇夜という訳です。

あくまでも想像ではありますが、謀反に向かう日の夕方に出発していることから考えれば、闇夜をつくる新月の日をわざわざ選んだのは夜の移動をできる限り気づかれない日を選んだと考えられ「なるほどなー」と思いました。現在は太陽歴を採用しているので日付と月の関係が全く別のもとなっているため思い付きもしないことですが、昔は太陰暦なので、新月は月終わりと月初め、満月は月半ば、庶民は月の形で暦を把握していたのだということに気が付かされた問いでたいへん衝撃を受けました。今のようなカレンダーが無い時代の常識の話しという訳です。

本能寺の変といえば数々の小説やドラマ、映画で描かれ、明智光秀は一体なぜ一介の浪人から大名にまで取り立ててもらった大恩人の織田信長様に謀反を起こしたんだということは誰もが不思議に思ったものです。他のどの事件よりも諸説ありの状況であるので日本最大のミステリーとも言われています。月のことを考えたときに強く思ったことですが、今の常識で物を考えていても到底理解できることではないなぁと考えるようになりました。

ところで年が明ければ新たな大河ドラマ「麒麟がくる」がスタートします。なんと明智光秀が主人公の大河ドラマです。期待しているひとも多いことだと思います。昭和の常識からいうと明智光秀と言えば逆賊の代表選手。大河ドラマの主人公なんてあり得ないと思っていたことだと思います。時代が過ぎれば考え方も変わるもので、令和の時代になってようやく明智光秀が大河ドラマの主人公となりました。黒田官兵衛が大河ドラマに選ばれた時も本当にドラマ化されるかと驚きましたが、今回の明智光秀のドラマ化は官兵衛の時より20倍驚きました。亀岡市で、福知山市で、長岡京市で、大河ドラマ化の署名に願いを込めてサインしたことを思いだします。時代も変わったということで、たいへん良いことだと思っています。

今は以前より研究も進んでおり、新発見の書状や新説もあり、どんな展開になるのかを期待しているところですが、この大河ドラマのスタートに合わせて明智光秀に関する書籍もどんどん発売されています。あと半年もあるので予備知識を蓄わえて大河ドラマに備えるのはいかがでしょうか。


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