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特集

猪名川の浄瑠璃・能勢の浄瑠璃

はじめに

猪名川町と能勢町は、明治期以降自治体組織としては大阪府と兵庫県に分かれてしまい、現代では相互の町を往来する公共交通機関も非常に少なくあまり交流がないように思われますが、両町域は隣接していて天智・天武朝の律令制による地域区分は同じ摂津国川辺郡に属していました。
奈良時代の和銅6年(713)川辺郡から分離して能勢郡が成立しましたが、以降もつながりが深く通婚圏でもあり文化的・民俗的にも共通点が非常に多い地域です。
その代表的なものとして浄瑠璃があげられます。
能勢町は今でも浄瑠璃が大変盛んな地域ですが、それに対して猪名川町では約三十年前に途絶えてしまいました。
しかし今また猪名川町でも浄瑠璃を復活させようと、数年前から能勢町で浄瑠璃の稽古をつけてもらっている当町在住者三名が、中美太夫派に所属して活動を始めています。
その他、猪名川町立ふるさと館には、昭和16年(1941)に大阪文楽座(当時の文楽の拠点、後の朝日座、現在は国立文楽劇場が拠点)の竹本相生太夫と吉田栄三から第7代目竹本中美太夫(末松太治郎)に贈られた寿式三番叟の文楽飾り人形が展示されています。

浄瑠璃とは

浄瑠璃とは義太夫節ともいい、竹本義太夫が創始した一種の声楽で、歌詞の内容伝達に主眼がおかれる語り物です。浄瑠璃という名称は『浄瑠璃姫十二段草子』(三河国矢矧の娘である浄瑠璃姫と鞍馬山を抜け出して奥州へ下向する牛若丸との恋愛物語)に由来しています。
竹本義太夫は貞享元年(1684)大坂道頓堀に竹本座を創設し専ら近松門左衛門作品を上演しました。近松は人物のおかれた状況を正確に生き生きと描くことに力点をおき、元禄16年(1703)にはかの有名な『曽根崎心中』(曽根崎天神の森の情死を脚色した)を作りました。(世話物の第一作、これに対して公家・武家の世界を題材としたものは時代物といわれる。)
またこの年は、同じく道頓堀の地に豊竹座が開かれた年でもあります。竹本美太夫の弟子である竹本采女が豊竹若太夫と改名して紀海音を座付き作者にすえ、浄瑠璃の内容や舞台に様々な工夫をこらして人気を博し竹本座の対抗勢力となったのです。その後浄瑠璃は興隆と衰退を繰り返しましたが、全国的に広がりをみせ猪名川町域・能勢町域にも伝えられてきたのです。

猪名川の浄瑠璃・能勢の浄瑠璃

(1)竹本中美太夫派 初代:土井柴助(西山松助)

西山松助は幼少の頃から浄瑠璃を好みました。彼は多紀郡後川村(現在の篠山市後川)の出身で土井市左衛門の次男・名を柴助といい、12~13歳ごろから大阪へ出て三代目竹本中太夫の門弟となりました。
はじめは美太夫と名乗っていましたが、文政8年(1825)8月に師匠が死去すると中太夫の「中」の文字を伝えるため中美太夫、本名を松助と改名しました。
同じ頃両親とも死別したので故郷へは帰らずに川辺郡清水村(現在の猪名川町清水)の福井佐助の世話になっていましたが、同年12月(1829)島村(現在の猪名川町島)の西山文七の養子となり、やがてかねと結婚、小間物屋を営むかたわら浄瑠璃の普及につとめました。
この中美太夫という名跡はその後、猪名川町域と能勢町山田・天王地区を分布圏として継承されてきました。現在の竹本中美太夫は能勢町山田で継承されています。(現在26代)

(2)竹本文太夫派

能勢町域の神山の杉村量輔が大阪に出て竹本弥太夫(清住軒)の門人となり竹本文巴太夫と名乗りましたが改名して初代文太夫となりました。(現在41代)

(3)竹本井筒太夫派

杉村量輔の門弟である能勢町域山辺の井戸源内が竹本弥太夫に師事し、文太夫に対抗して井筒太夫を名乗り初代となりました。(現在48代)

(4)竹本東寿太夫派

能勢町倉垣の中和博氏が平成13年(2001)11月旗揚げし、初代となりました。(現在2代)

これら四派の太夫は今養寺花会式や道の駅能勢栗の郷など町内外で活躍していますが、なかでも毎年秋に行われている神社講演は大変すばらしいものです。夜間神社の境内で篝火が焚かれる中、鹿角座の人形とのコラボレーションで、観る者を幽玄の世界へと誘います。(各派とも令和7年時点)

能勢の「おやじ制」

芸を伝承、普及させるために生まれた制度・組織です。
・一派の総師として太夫名を襲名します。
・門人4~6名を養成します。
・諸行事を主催します。
・生存中に太夫名を誌した一世建碑を行う権利を有しています。
・流派を発展させる責任を負っています。
・世襲制ではありません。
この制度によって能勢の浄瑠璃は発展し、現在語り手が200名を越えています。
平成5年(1993)に大阪府指定無形文化財、平成11年(1999)には「浄瑠璃という芸能が地域に伝搬し伝承される過程で、全国的にも希少な伝承のあり方を生み出したものであり、芸能の過程を知る上で重要」であるとのことから国の無形民俗文化財の選択を受けています。

猪名川町内の建碑

上記表を参考に町内建碑の地図と写真を掲載します。
散歩のついでに探してみては如何でしょうか。
ちなみにア~カが建碑で、1~10は力士の石碑の場所を表しています。
記事:猪名川に於ける相撲=https://inagawabase.com/special/sumou/

㋐ 初代 西山松助 島 文政8(1825)秋頃襲名

㋑ 20代 大西光男 林田 平成5(1993)9月襲名

17代 南松治 木間生 昭和56(1981)4月襲名

10代 飯田茂市 槻並 昭和33(1958)1月襲名

6代 田中宗之助 槻並 昭和7(1932)襲名

カ 竹本笑楽軒寿蔵 島 明治45(1912)襲名

太夫の小道具

床本

縦30㎝・横20㎝くらいの大版で一人の受け持ち分が1冊になっており、独特の大きな文字で五行に書かれ朱墨で譜が書き込まれています。
原則的に手書きで古くは太夫の受け持ちの役が決まると自分で書きましたが、近年は専門の書家が書いている場合が多いです。また師匠から弟子に譲る場合もあります。

見台

書見台の略。床本をのせる台で天板は斜めに傾いています。

尻敷き

腹から声を出す姿勢をとるために座ります。

腹帯

腹から声を出しやすくするために腰骨の辺りで巻く帯

衣装

黒紋付・肩衣・袴(三味線弾きも同じ)

浄瑠璃の伴奏

義太夫節の伴奏に欠かせないのが、太棹三味線です。その名のとおり一番大型で音も低くて大きいため、腹から声を出す義太夫節の伴奏に適しています。義太夫節の三味線弾きは太夫の語りが物語の内容表現に重点を置くので「心を弾く」ことが重要で、太夫と心をひとつにして弾かねばなりません。

能勢町淨るりシアターと鹿角座

能勢町淨るりシアターは、能勢の浄瑠璃をはじめとして文化の振興を図ろうと、平成5(1993)にオープンした施設です。500席あまりのホールがあり、ロビーは能勢の浄瑠璃・人形浄瑠璃を紹介する展示がなされています。淨るりシアターワークショップや6月能勢淨るり月間・様々なコンサート・演劇が上演され町内外の方たちに親しまれています。
能勢人形浄瑠璃鹿角座は能勢に伝わる<能勢の浄瑠璃>を地域財産として守り育て次世代に向けての提案と発展のため、平成10年(1998)6月《ザ・能勢人形浄瑠璃》として誕生し平成18年(2006)人形浄瑠璃の劇団《能勢人形浄瑠璃鹿角座》として再出発しました。
人形浄瑠璃文楽座の人間国宝竹本住太夫師や吉田蓑助師などの指導を受け日々研鑽を積み、依頼公演なども多くアマチュアながら多方面から高い評価を受けています。

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arase

猪名川には30年以上住んでいて、人生の半分を超えました。 町内、これからも遊びまくりたいと思っています。