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猪名川町に住んでるなら「多田銀銅山」を知ろう!

猪名川町 多田銀銅山

町内小学校では必ず校外学習で見学に行く、銀山地区にある「多田銀銅山」。
平成27年度に国指定史跡として兵庫県下で初めて、全国でも8番目の鉱山遺跡に指定されました。
何故指定されたかは、資料や絵図が豊富に残され、施設構成や間歩の分布状況、製錬技術方法など良好な状態保存が評価されました。
ここで採掘された鉱物は、班銅鉱・黄銅鉱など、岩絵の具の顔料になる藍銅鉱・孔雀石など、その他多種の鉱物が採掘されたようです。
中でも班銅鉱は60%の銅と0.5%の銀を含有し、日本画の顔料として有名な藍銅鉱からは青色、孔雀石から緑色の岩絵の具の顔料が採れて、特に青色は大変高価でした。
昔より鉱脈を見つける方法として、鉱物を直接見つける他に金属の多い土壌に育つ植物、ヘビノネゴザやハクサンハタザオ、ヤブムラサキなどが植生する土地を探します。

ヘビノネゴザ

ハクサンハタザオ

そもそも東大寺の大仏建立に銅を献上したと伝えられ、天禄元年(970)源満仲の開抗により多田源氏の財源となり、豊臣秀吉は天正年間(15731591)天下の台所と言われるほど製錬技術を飛躍的に高めて財源としました。
江戸時代、寛文元年(1661)幕府の直轄地として代官所が設けられ、最盛期には銀山町として賑わい、娯楽施設もある3千戸の都市を形成していました。
明治時代には洋式製錬設備で近代化され、その後三菱、日本鉱業に引き継がれて、昭和48年(19731000年を越える銀銅山の歴史を閉じました。

昭和48年と言えば筆者は高校生、青春真っ盛り。
今の若い人にとっては歴史の教科書の中の話と言われてショックを隠せない私です。

日本鉱業多田銀山 選鉱場(現地看板より)

取材した日は秋の行楽日和。
松尾台の団体約75名が観光ボランティアの説明を受けながら散策を楽しまれていました。以外と初めての銀山散策という方も結構いらっしゃいました。
私はそのまま銀山新田を通過して一本松山から道の駅を目指しました。

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arase

猪名川には30年以上住んでいて、人生の半分を超えました。 町内、これからも遊びまくりたいと思っています。

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