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猪名川町 三矢の儀式 令和二年、困難を乗り越えて3年ぶりに復活

民田の地は多田銀銅山の鉱窟の一部でもあり、東の端、千軒には竪穴の間歩があるという。また西側には丹州街道と言われる古街道が通り、丹波の米が池田へ運ばれた道でもある。
昔から中谷村に属していたとはいえ、地域的に今は西へ繋がる阿古谷への道も昔は裏山道しかなくて、東へ抜ける千軒方面の道が主交通路で、ほとんどの家が能勢の女性を妻に迎えていたとのこと。
その千軒へ抜ける道も2年続きの被災で、道路の一部が土砂崩れを起こし通行止めになり、1年半の間を阿古谷方面からのルートを唯一として、日生中央・山下方面との交通や物流の不便を甘んじて受けざる負えなかったことは、生活面でのご苦労も想像以上だったことであろう。https://inagawabase.com/tamida-road/

民田・八幡神社の社が、平成29年秋から2年続きの台風被害による倒木で被災した。
平成29年の台風では、本殿裏の、少なくとも年輪を数えられた680をはるかに超え、約800年と言われる檜の老木が3m位のところで折れて本殿の覆い屋と拝殿の屋根を直撃。その状況を受けて、自治会ではその年の12月に三矢の儀式保存会の事務局を色々と協力的な猪名川甲英高等学院内に発足し、修復に向けての活動を始めたのだが、翌平成30年の台風で新たに拝殿東側横の杉が拝殿側に、本殿西側足元近くの檜の根株が覆い屋建物の足元を掘り起こす有様で、復旧の範囲は昨年の被災の倍以上に拡大。氏子達を失意のどん底に追いやった。

現在人口は氏子15軒、高齢化率約40%で、修復費用を氏子だけで負担することは困難。修復の使命感すら萎えそうになりながらも、民田を愛する町民有志や阿古谷まち協のスタッフ、猪名川甲英高等学院の職員・生徒たちの地道なバックアップで、やっと今年のハレの儀式を開催するまでに漕ぎ着けた。

県から儀式を復活・伝承への助成金20万円と地域の夢づくり助成金20万円を受け、修復費には一般からの寄付約350万円を頼りにしながら工費の半額弱は賄えたものの、最終かかった金額は、神木の撤去費約176万円、本殿、拝殿の修復に560万円と、今後の返済金額は小さな村にとって、伝統を守り継ぐモチベーションを頼りに令和2年の開催ができて一同安堵と喜びに盛り上がってはいても、今後も負担する額を想うととても重苦しい。今でも口座は継続的に開設しているとのことなので、皆さんの寄付の協力を望む次第。寄付金振込の方法・口座についてはリンクを参照。https://tamidasanyanogishiki.jimdofree.com/

毎年1月6日(今年は月曜日)午前10時から民田・八幡神社で行い、江戸時代初期から約400年伝わる「三矢の儀式」は、新年と長男の元服を祝う。親は烏帽子(えぼし)と直垂(ひたたれ)装束で昨年の元服親子(相頭(あいとう)、亀の紋章)が、今年の元服親子(初頭(ういとう)、鶴の紋章)に一連の所作を教える形で儀式は進行する。
神事のあとにお供えのこべら餅が見学者に振る舞われ、儀式はクライマックスへ。子が親に3本の矢を手渡し、最初の2本は的に、1本をその年の恵方(えほう)の空へ放つ。射抜かれた的は、豊作と無病息災の象徴として、今年元服の子の家の屋根上に置かれる。

元服は本来15歳だが、近年は子どもの減少で、仕方なく歳に満たない子や村役の大人が、代役を勤めて継続していたが、今年は儀式の復活に協力してくれた猪名川甲英高等学院の生徒が代役を務めた。今回、謂れ書や看板を新調し、ポスターも作成したのだが、そのデザインや準備など協力した学生たちに代役を依頼したという経緯。

八幡神社は別名、カサの宮と称されて、鏡のように押し伸ばしたお供えのこべら餅が吹き出物などのカサブタ治癒に特効があると言われるのが由来とか。平成23年5月12日に猪名川町指定無形民俗文化財に指定。

この日を祝うような快晴の下で伝統の儀式が厳かに、盛大に開催され、初めて見る方も、何度も訪れた方も、約200人の見学者は一堂に感動し、保存会の皆さんもとても喜びを表現されていた。

前編

後編

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